ぽんすけの頭が多動

ADHDとうつ病とHSPとACな人のこと。

SSRIとストラテラへのトラウマ

最初のうつの診断後、ベンゾ系のお薬を処方されていました。

それによりうつの症状が落ち着いていたので、当初の目的だったストラテラを処方して頂きました。

そしてストラテラの処方に合わせて、うつの薬がベンゾ系からSSRIに変更。

 

ところがストラテラSSRIを服用して3日目ぐらいから、うつの症状が悪化し、強烈な希死念慮が起きるようになりました。

それまで希死念慮が起こったことはなかったので、すぐさま病院に。

先生は「今まで蓄積されてきたストレスが薬によって解放されたことが、症状として出てきているんだと思います。ストラテラは中止してもいいですが、SSRIは効果が出るまで1〜2週間はかかるので、飲み続けてください」とおっしゃりました。

結局SSRIは1週間ほど飲み続けたのですが、その間も強烈な希死念慮でのたうち周り、毎日病院にかけこんでは点滴を打ってもらう、という状態が続きました。

 

ストラテラSSRIのどちらにも希死念慮やうつの悪化の可能性があるそうなので、どちらが私の体に合わなかったのかはわかりません。

ただ先生も薬剤師さんも副作用の可能性は否定されていました。

私自身思い込みの激しい性格なので、先生はそのことを気にされていました。

 

最近になってもう一度SSRIを試したい、という気持ちになっているのですが、あの1週間がトラウマになっていて二の足を踏んでいます。

 

ところで蓄積されたストレスがうつの薬によって解放されて一時的に症状が悪化する、っていうの実際にあることなんですかね?

ネットで調べた限りではかすりもしなかったんですが・・・。

もし何かご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えてほしいです。

人の服装や体型を笑う人ほど自分のそれにコンプレックスがある

今年の二月以降少し落ち着いていたのですが、また強いうつ状態に戻ってしまいました。

恐らく整形のストレスと、仕事関係のストレスが重なったためだと思います。

初めての再発を経験したことで、「やっぱりこの病気は一生付き合っていくんだな」ということを改めて思い知らされました。

 

いや整形に関しては自業自得じゃないか、と思われても仕方がないと思います。

ただ、それを母親に言われたことがショックでした。

 

元々私は醜形恐怖症気味だったのですが、そこには母親の影響が少なからずあると思っているからです。

昔から私の服装や体型を見ては、「周りに変だと思われるよ」「それ変じゃない?」と言ったり、からかうような目をして笑ったりすることが日常茶飯事でした。

母にとっては悪気もなく、コミュニケーションの一環のような物だと思います。

 

物心ついた時には、とにかく周りの目を気にする自意識過剰な性格になっていました。

整形や歯の矯正に対する執着も長年抱えてきたものです。

成人した今、母親と同じことを家族に言ってしまうことがあります。

自分の直したいところの一つです。

 

また今回人生で初めての美容整形に挑戦した私ですが、

強烈なストレスとうつ状態の再発と引き換えに、得たものがあります。

美容整形への諦めです。それに関してはまた書きたいと思います。

 

人と話すと異常に汗が出る

鬱になってからかなり困っていることの1つに、発汗があります。

 

仕事関係の人と話をするとものすごい汗が出てきます・・・。

なんでなんだろう?

過度に緊張しているんでしょうか?

病院とか市役所とかの人が相手の時はそんなでもない気がするんです。

 

電話がすっかり苦手になってしまいました・・・。

「失礼なこと言ってないかな?」「逆に何か言っておかないと失礼なことは?」

そんなことばかり考えてしまうので、話の内容もイマイチ頭に入ってきません。

電話の予定があるだけで、ものすごく不安な気持ちになってしまいます。

 

いっそやりとりをメールとかLINEだけにできたらいいんですが、

仕事関係の人に「電話が苦手なのでメールでお願いします」とは言いづらい。

でも伝えた方がメンタルのためにはいいのかな?

未来を信じる人に戻りたい

タイトルの文、誰かがtwitterで言ってるのを見てからよく思い出します。

 

鬱になってから何もかも変わってしまった気がする。

でも本当は、ずっと生きてきて「多分このままじゃ人生詰むだろうな」とか、

「こんな方法ずっとは通用しないだろうな」って心のどこかでは思ってました。

鬱になる兆候みたいなものはずっと感じていたのに、どうして鬱になるまで未来を信じていれたのかが不思議。

もう二度と戻れないんだろうなあ。

 

でも鬱になったということは、スポーツ選手が無理をして怪我をすることとどこか似ていて、続けられないような無理をしていたという事だから、
やっぱり鬱になる前とは何かを変えていかなきゃいけないということですよね。

 

鬱になってから、どうやって生きていこうかなあ、消えたいなあ、人生もう上がりたいなあ、という思考が癖になってしまいました。

自分に合った病院を探すのは難しい

少し前からすごく簡単な在宅の仕事をもらってるんですが、

やっぱり効率とか集中力とか色んな焦りが出てきてしまって、

鬱の治療を優先していたために先延ばしにしていたコンサータに挑戦することに。

 

鬱発覚からずっとお世話になってきたクリニックでは処方できないので、

大学病院に転院して無事処方して頂いてるんですが、

担当の先生がイマイチ信用できなくてつらい・・・

 

コンサータを増量する時に「割って飲んでいいですよ」と言われたけど、

コンサータって割っちゃだめじゃなかったっけ・・・?

しかもいつ行っても混んでるはずの大学病院なのに、いつ行ってもすぐ呼ばれる。

他の先生の患者さんはすごく待ってるみたいなのに・・・

慎重に飲まなきゃいけない薬だから、余計に不安。

この先生で大丈夫なのかな?

 

次回診察時、障害者手帳について相談する予定。

もし親身になってくれない先生なら転院も検討しようかな。

読書もできない状況が続いてます

誰かのためになるブログを書きたいなと思ってたけど無理そうなので諦めます。

 

近況としては、

少しだけ仕事を貰えた

コンサータを貰うために大学病院に転院

プチ整形に挑戦

メンタルが超絶悪化

 

こんな感じです・・・

ほんと何してるんだろ私・・・と思いながら生きてます

 

色々不安があるので少しずつ吐き出していきたいなと思います

何のために生きるのか「それでも人生にイエスと言う」読了

こんにちは、ぽんすけ(@ponsuke_mental)です。

相変わらず本を読んでます。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

 

どこに出しても恥ずかしくない、っていうかもうメンタル界隈では教科書レベルで読まれてるド名著、読了しました。

読むだけでメンが安定する、ビタミン剤と一緒に持ち歩きたい本。

響いた部分を自分用にメモしておきます。

幸せになるために生きるのは難しい

自殺の4つの理由の内に1つに、私が死にたいと思った答えがズバリ書いてありました。

生きていく意味、そもそも生きる意味がまったく信じられないという理由で自殺しようとします。こういう動機でなされる自殺は、ふつう、決算自殺とよばれます。どのケースでも、いってみれば人生のマイナスの決算を引き出したので、自殺するのです。

うわああああ!とまず頭を抱えました。あまりの図星に読むのをやめたくなったほどです。

フランクル曰く、そもそもこの決算法が間違っているそうです。

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことではありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。

つまり、自分が人生に投資しているのではなく、人生が自分に投資しているのだから、それに答えていくことが生きる意味ということですね。

創造、愛、良心

じゃあ人生に答えていくというのはどういうことかというと、自分の状況に応じた最適な解を実践していく、ということだそうです。

状況というのは、病気や家庭環境、避けようのない様々な問題を含みます。

その中でどうすれば人生に答えることができるのか、ということについての答えがタイトルの「創造、愛、良心」です。

創造=創造価値、愛=体験価値、良心=態度価値とも言いますが、これら3つこそが人間の根本的な意思だそうです。

一般的に人間が求める快楽や力は、これらが満たされない場合の代替的欲求であるか、根本的な意思を達成するための手段とする場合のどちらかであって、根本的な意思を超えるものではない、というのがフランクルの主張です。

つまり快楽や力を求めても満たされないのは、この根本的な3つの意思に基づいていないから、より深い心理での欲求が満たされていないからなんですね。

どんなどん底でも選択の自由だけは残される

作中では、死を前にした患者が、動くこともままならない状態の中でも、医者と看護師の業務を思いやることで「良心」を実行したエピソードで例えられています。

どんな病気であっても、飢えていても、人間の尊厳を奪われていても、それに対して上記の根本的な3つの意思のどれかを意味として求められるなら、いつでも選択肢は残されている、ということです。

今感じている苦しみの意味を将来に求めるのではなく、生きる意味として答えていくことができるなら、どんな状況でも生きていくことができるそうです。

人生に価値があるか、自分で確かめに行こう

誰かのためにって言っても、全てがいつか死ぬなら、そもそも他人、社会、人間、世界そのものに意味なんかないんじゃないか?という疑問。

これに関しては、フランクルもどちらも同じだけ可能性があると考えています。

ただ、未来のことは誰にもわからないけど、過去は不変なものです。

だからこそ、信じて実行することで、真実を作っていくことができるのが人間だという言葉で締めくくっています。

私も感じる苦難以上の価値が世界にあるとはまだ思っていませんが、同じ苦しみを持った人たちと一緒にそれを探しにいくぐらいはやってみてもいいかな、と思いました。

 

 

家で読むなら本、外でも読みたいからkindleも欲しい。
フランクルの夜と霧も読むか悩むな〜〜〜読んだら病みそうで怖い。
寛解してから読むべきかなあ。